住まいのエッセンス・第1章玄関・その3

横浜の青葉区というところの3DKのマンションです。

10階建ての8階で、眺めがよく、私は南側のサンルームを確保しました。

2畳ほどしかなかったので、寝るのにはちょっと狭く、4歳上の兄と布団を並べて、

サンルームに続く和室に寝ました。

玄関は北側で、鉄の扉を開けると風が勢いよく南の窓へ抜けていきました。

マンションを挟んで、北側が東名高速、南側は246号が走っていて、ドアや窓を開け放つと

車の騒音がひどく、結局、住民が一致団結し、建設会社に北側の部屋には2重サッシを追加で

工事してもらうことになります。

冬は暖かく、夏も風通しがよかったので、少し窓を開けておくことで、しのぎやすかったと

記憶しています。ただ、トイレの窓を開けるとその匂いがリビングに流れてくるので、

家族だけの時はともかく、お客が来る時には閉口した覚えがあります。

そのマンションから私は高校、大学を通い、会社に勤めて広島に転勤するまで住みました。

広島は初めての独身生活だったので、いろいろ迷った挙句、バス通りが北側を走る

鉄筋3階建てマンションの2階を選んでしまうことになります。朝晩の交通量の激しい時間帯を

知らずに契約してしまったのです。玄関は鉄の扉で、小さな下駄箱がついた簡素なタイプです。

結婚を期に、ちょうど空き部屋になった3階に転居しました。というのは、キッチンの窓を開けると

坂を上るバスの乗客の目が合うのが、嫌だったからです。

独身の時にはなかった黒い電話機が下駄箱の上に鎮座することになります。

玄関を開けるとバスの屋根越しに大田川放水路が見渡せ、私は気分がよかったものです。

広島での生活は4年で終止符を打ち、私は家族を連れて、横浜の青葉区に戻りました。

双子の子供が小さかったので4階建てマンションの2階を借りました。3DKの間取りで、

西向きに2部屋の和室があり、家族4人はほとんどこの和室で過ごしました。

この家も和室に面してバス通りが走っていましたが、東側の玄関は階段を数段上るだけで

入れましたので、「1階限定の家を」という家内の条件にも合致したというわけです。

ただ、1年しか住まわなかったので、ここの玄関もあまり印象がありません。