7月31日

7月31日。夏休みがあった頃はいろいろな「感慨」が出て

くる日だ。「感慨」というより、「ため息」といった方がい

いかもしれない。つまり、夏休みに入ってから、あっという間

に10日も過ぎてしまった。

一体、何をしてきたんだろう? そういう事を考えてしまう

日なのだ。4分の1が過ぎてしまったのに、宿題には1度も手

をつけていない。そういう不安が次第に重荷になってしまう。

小学校、中学校では宿題の事が気になり、なぜ、自由に遊べ

ないのだろう?いや、それほど友達と外で毎日遊んだようにも

思えない。

ただ、だらだらと過ごしただけなのだ。テレビを見て、昼寝を

して、ご飯を食べて、テレビを見て過ごしていただけなのだ。

九州にいた小学4年生までは、毎日ラジオ体操に行き、東京に

転校になってからは臨時水泳部員として、ほぼ毎日、学校の

プールでトレーニングという名目で遊んでいた。

中学校では社会のE先生に出された社会課自由研究で、天声

人語を切り抜いたが、お土産の包装紙を収集する宿題は1か

月お土産というものがなかったので、全くできなかった。

バスケット部の練習も全く参加しなかった。

 

高校では休み明けの試験が気になったが、バイトをした。

高校受験の時の反動が出たのと兄貴が自由にバイトをしてい

るのが羨ましかったのもあった。家の家計を助けるわけでは

なく、自分の小遣いが足りなかっただけのことだ。

2週間くらい溝の口の八百屋で品出し。玉ねぎやジャガイモ

を大袋から洗面器に小分けするのだが、1日立ちっぱなしで、

30kgくらいの袋を何度も運び、腰を曲げての作業は結構

ハードだった。朝9時から夕方5時までの肉体労働は初めて

のバイトとしてはきつい。たまたま一緒になった運動部らし

い高校生は3日で腰を痛めた。僕は最後まで辞めなかったお

かげで、フルーツ売り場に栄転になった。けれど、2学期初め

の試験はぼろぼろだったし、バスケット部も辞めた。

 

そうそう、将棋部を同級生が作り、8月後半、高校対抗でK工業

高校と対戦したのだが、まるで僕は初段のK主将やO君、T君に

棒銀、ヤグラを教えてもらったくらいのド素人。

終わった後の振り返り棋譜でそこまで打ったのかと呆れられて、

その後2度と将棋大会では指していない。

バスケット部も辞めてしばらく、「帰宅部」だったのだが、ワン

ゲル同好会に入り夏合宿は楽しかった。試合に勝つより、男女

一緒に時間を過ごすことが自分には性に合っていると悟った。

 

さて、この夏、初めてのスイカを買った。昔とは違って、スイカ

の大玉は2000円くらいする。たまたま、無人販売所で4分の

1サイズを300円で購入。マッサージチェアで1時間の昼寝

の後、その4分の1を試食。懐かしい夏休みの味を堪能した。