住まいのエッセンス 第3章キッチン その2

大田区の家は、最も北側に台所があり、昔の家らしく、女が一人、食事を作るためというものでした。
女中部屋が台所と茶の間を繋ぐ廊下に隣接していて、今から考えると、ひどい設計です。
当然、うちには女中を雇える余裕もなく、お袋が一人作っていたわけで、姉は日当たりの良い「離れ」で
ピアノをひいたり、僕は茶の間でコタツに入ってTVをみたりしていて、母親が暗い台所のどんな冷たい水で
洗い物をしていたか知る由もありませんでしたし、一時期、同居した曾祖母や祖母との葛藤も見ることは
なかったのです。
しかし、横浜のマンションでは、保険のおばちゃんをしていた母親がなかなか帰ってこないので、
ピアノの練習に限界を感じていた姉は時々キャベツ炒めやグラタンを作ってくれました。
ダイニングキッチンのおかげで、TVにしがみついていた僕も、なんとなく料理の仕方を勉強していた
ように思います。
広島や横浜の2DKのアパート、横浜の一軒家でも、ダイニングキッチンでカミサンが一度作った料理を
あたため直すのを待つ間、僕はビールを飲みながら、先輩たちを残して、いかに仕事を早く切り上げるのが
難しいかを、とうとうと力説したものです。
世田谷のマンションで初めて、対面キッチンを経験してから、この居心地の良さに感銘を深め、
自分もキッチンに立つことに喜びを感じ始めました。
ただ、休日料理を作るということは苦にならないのですが、洗い物だけは嫌いでした。カミサンは
横浜の家でシステムキッチンにリフォームした時、とうとう食器洗い機というものを購入しました。
カミサン、息子たちは食器を器用に並べ、食洗機に入れるのですが、僕はどうしても、水洗いで充分な
コップや油にまみれた食器を一度ゆすいだ後に、わざわざ水流方向を気にしながら並べるという
効率の悪さが気に入らず、いまでも自己流に手で洗っています。
ですから、去年購入した沖縄の家にも食洗機は付いていません。
 
今は、伊豆では三筋山の尾根に、沖縄ではケラマ諸島に沈む夕日を観ながら、
酒のつまみを作る至福の日々を送っています。