12月4日は2001年3月31日に亡くなった親父の誕生日。
本を読む速さは並ではなかったが、躁うつ病の気があって
慶応の経済出のサラリーマンとしてはうまくいかなかった。
こどもの頃は知らなかったが、会社では一言も話さない日もあったそうな・・・
まじめな人間で、ずっと経理の仕事をしていたが、
不正の後始末もずいぶんやらされていたようだ。
長男だったから、破産した明治生まれの両親、祖母も引き取り、
僕達子供3人を大学まで行かせた苦労には感謝している。
そんな親父も僕達が社会人になってから、たががはずれて
しまった。新宿の飲み屋に入れ込んだり、酔って線路に寝てしまったり・・・
トイレの清掃ボランティア、植木職人に弟子入り、ゴミ捨て場から物を
拾ってくるような奇行・・・・
晩年、糖尿病で、酒も甘いものも食べられず、こどものように
僕たちの晩餐に指をくわえていた。