それから佐賀の多久市という炭鉱の町に住んだのですが、それは、北九州の家から10年くらい前にタ
イムスリップしたような一軒家でした。玄関は引き戸で、鍵が内側から閉めるタイプで、一家全員が外
出する時は、台所の開き戸に錠をつけて戸締りをしていました。無用心ということでもなかったのです
が、コロという名のスピッツを飼い始めました。玄関は犬を住まわせるくらいの広さはありましたが、
庭の物置の中が犬小屋になりました。
コンクリートのたたきと下駄箱、その上に、季節の花が飾られていました。今から考えると玄関に花を
生けるという余裕が生活の中にあったのだと感心してしまいます。その花は決して高いものではなく、
庭や近くの空き地に咲いていた野草なのです。
その家にも2年くらいしか住まわず、私たち一家は東京の大田区に転居しました。さすがに、東京で、ま
わりは住宅ばかりで北側を除いて3方が家に囲まれていました。佐賀の家よりずっと広く、2階建てで間
取りは4Kになりました。庭に張り出した6畳の洋間が子供部屋になりました。ピアノがあり、机が3
つでしたから、寝る時は居間の隣の和室に布団を3つ並べて寝ました。
しかし、私は兄、姉と喧嘩が絶えず、台所横にあった暗くてじめじめした2畳の「女中部屋」に移動した
りしたのですが、結局2階の8畳間を独り占めにしたのです。
ただ、そこは両親の寝室でしたから、寝る時は、1階の和室に移動しなければなりませんでした。
その家は広かったのですが、古く、塀はかたむきかかっていました。玄関は南に面して、明るく、玄関
扉の上にスリガラスがはめ込まれており、広さも十分ありましたが、コロはこの時も、お手製の犬小屋
に押し込まれていました。その家には4-5年住んだのですが、その後はいわゆるマンション住まいに
なってしまいます。